愚か者が吹く笛の音に雲が笑う

愚か者が漏らす戯言

自死の自由

果たして自死の自由はあるのか。

確かに「死を望む者が死のうとして何が悪い!?」と言いたくなる気持ちは分からないでもありません。
しかし命は本人一人だけのものなのでしょうか!?

私は決して自死を否定するつもりはありません。
それどころか、現代社会においては、もっと自死に対する理解も必要だと思っているくらいです。
ただ、自死を自由という権利で論ずる事に疑問を感じずにはいられません。

自分の命なんだから、自分の好きにしていい。
その様な考え方は、ちょっと独りよがりではないでしょうか。
命というものは本人一人だけのものではない様にも思うのです。

しかし、その一方で人生というものは本人だけのものだと思う。
周囲の誰かの為に自分の人生を犠牲にしなければならない訳でもないでしょう。
死にたくなる様な苦痛が現実に存在しているのに、その苦痛に耐えて生き続けなければならない様であれば、それこそ理不尽な事の様に思ったりもする。

そして死を選択せざるを得ない状況に追い込まれている方に自死の否定をする事は、余計に自殺という行動に走らせてしまう事にもなりかねない。
それが現在の日本で、多くの自殺者を出してしまっている要因の一つだと思うのです。

死にたくなってしまった方は、決して好きで死にたくなる訳ではないでしょう。
寧ろ生きるという選択肢が奪われてしまう事に問題がある様に思うのです。
傍から見れば、そうは思えなかったとしても、本人にとっては生きる選択肢が無くなってしまう。
そして、それが実際の自殺という行動にも繋がる。

結局、命を権利で考えてしまうと、誰かに死んで貰いたくない方は、その誰かの自死を認める訳にはいかなくなってくる。
一方、死を望んでしまっている方は、その様な事に理不尽さを感じたりもする。
或いはそれが自己否定に繋がったりもする。

そして、それもまた死を望む方に自殺という行動をさせてしまいかねない様にも思うのです。
死を望む事を否定され、自己を否定する様になってしまい、生きる事に希望を持てなくなってしまったりもする。

だから私は思うのです。
命は権利で考えるべきではないのではなかろうか。
生も死も自由という権利ではなく、現在の状態にしか過ぎない。
今、生きていれば、それが生であり、今、死んでしまっているのであれば、それが死となる。

権利で考えると、どうしてもエゴがぶつかり合ってしまう。
それが結果的に死を望む者をこの世界から排除してしまう事になったりもする。

それよりも死を望んでしまう様な苦痛がある以上、死を望んでしまってもいい。
そして死を望んでしまう以上、自殺という行動に出てしまう事も、ある意味、仕方がない事だと受け止める。

死を望む事を許容する。
自殺してしまう事も許容する。
矛盾するのかもしれませんが、許容した上で安易に命を絶つ様な行動はしない方がいいと伝えていくべきではないかと思うのです。

また私は決して自死を否定する事を否定はしません。
ただ、それだけでは駄目だと思うのです。
本当に命が尊いものであるならば、命の儚さももっと理解して、臨機応変に対応する必要がある様に思うのです。

しかし現在は命の儚さに対する理解が足らず、臨機応変な対応が出来ていない。
そして、権利というものが、その様な状況を作り出している様に思ったりするのです。

権利というものが考え方をより極端な方へと導き、自死を否定する者と自死を望む者との隔たりを大きくしてしまっている。
更に隔たりが大きくなる事で死を望む者を実際に自殺という行動に走らせてしまってもいるのではないでしょうか。

そして、この様な事は決して自殺の問題に限った事ではない様に思うのです。
権利が問題を一義的なものにしてしまい、それから外れたものに対する排他的な考えを助長してしまったりもする。

それらがまた、人が生きる事を困難にしてしまったりもする。
死にたくなる様な苦痛を生み出してもいる様に思います。
それが今の現状の様に思うのです。

その様な現状を改善していく為には、これまでの対策に加えて、別の対策も用意して、状況に応じて臨機応変に対応していくべきだと私は考えます。

自殺という問題に関して言えば、自殺そのものを食い止めようとする取り組みも必要でしょう。
その一方で死を望んでしまう事を受け止めてあげる。
そうする事で実際に自殺という行動を先延ばしにする事が可能になったりもする。
その間に死を望む事になった、元の要因を改善していく。

現状はその様な本質的な取り組みの方が足りていないのではないでしょうか。
だから死を望んでしまう元の要因を改善する事をもっと積極的に取り組んでいかなければならない様に思うのです。

変な話になるのかもしれないが、死を望む方が自殺する事を止めるだけで自殺者を減らす事には繋がらない。
時には自死をも受け入れた上で、寄り添う事も必要なのではないでしょうか。

その為にも権利に拘る事無く、状況に応じて柔軟な対応が、今、一番、求められている。
そして、それが本当の意味で、命を尊ぶという事になるのかもしれない。
そんな風に私は思う。

転載元URL(2016.3.4)
http://next.spotlight-media.jp/article/254952032457497978