愚か者が吹く笛の音に雲が笑う

愚か者が漏らす戯言

長時間労働の全てが悪い訳ではない

クリスマスを迎えて、1年前のクリスマスに自殺をしてしまった電通の社員の方の事が様々なところで取り上げられている。

それもその殆どが長時間労働に対する否定的な論調である。

勿論、長時間労働に対しては何らかの対策が必要である事に異論がある訳ではない。

しかし、長時間労働の全てを悪いものとして世の中から排除してしまおうとする事には疑問を感じざるを得ない。

私は何事も一方的な価値観で「悪」だと定義付けしたものを排除する事で問題解決を図る事では、問題を余所に移すだけになってしまうと考える。

要するに、この問題を改善出来れば、他の問題が悪化する事には関知しない、と。

長時間労働で奪われる命さえ減れば、他の問題で奪われる命が増えても構わないのだろうか。 

実際に今すぐ、長時間労働を厳しく取り締まったとしよう。

その時に足らなくなった労働力の皺寄せは何処へいくのか。

結局、それはサービスの質を低下せざるを得なくなるのではないか。

そしてサービスの質が低下する事により、より多くの命が危険に晒される事にもなりかねない様に思う。

勿論、将来的にはロボット等で労働力を補う事も出来るのかもしれない。

でも、今すぐは現実的でないと思う。

また、長時間労働は過労死に繋がる要因の一つでしかない。

逆に言えば、長時間労働が過労死の要因にならない事だってあるだろう。

過労は個人によって受けるストレスの種類や量、様々あると思うんだ。

それらを一緒くたにしてしまって本当にいいのか。

長時間労働のストレスに耐性の強い者が別のストレスで過労死したのに、長時間労働の所為にされてしまう。

本当はもっと別の問題があったのに、それは表沙汰にならなくなる。

そういう事態だって招きかねないのではないか。

また、そもそも過労してない者が労働する機会を奪ってしまっていいものなのか。

それは過労している者に労働を強いる事と同様に理不尽の様に思う。

勿論、目安としての線引きは必要ではあるだろう。

しかし、長時間労働の上限を決めて取り締まる事は如何なものか。

それよりも、過労している者を事前に察知出来る様にすべきと思う。

例えば、目安の数値を超えて労働をさせる必要が生じた場合、定期的な検診を義務付ける、とかね。(現状すでにある定期検診とは別に短期的な)

そして、それが出来ない、しない企業は長時間労働に上限を決めてもいいだろう。

上限を決められたくない企業は定期検診等、長時間労働に対する何らかの対策をすればいい。

企業の方からしても、長時間労働をさせるくらいなら、それだけ必要としているという事でもあるよね。

その貴重な戦力を過労死で失うよりは、コストをかけてでも社員の体調管理をする価値はあるんじゃなかろうか。

そして、そうやって過労しているかどうかを見極めた上で、過労している者にはドクターストップを。

過労してなく意欲もある者には、どんどん働いて貰えばいい。

見極めをする事は、意欲だけの者をあぶり出す事も出来るだろう。

本人の意欲に騙されて、周囲も本人も体の限界に気付かない。

そんなケースも事前に察知して適切に休養させる事も出来る様に思う。

その見極めをせずに、長時間労働を一括りにして取り締まる事はちょっと乱暴なのではないか。

それよりも、きちんと過労を見極めた上での対処が求められる。

そうする事で長時間労働以外の問題にも対応が出来るのではないか。

私はそんな風に思う。