愚か者が吹く笛の音に雲が笑う

愚か者が漏らす戯言

プロフェッショナルな国家

私が考えるプロフェッショナリズムとは。

準備。

万全の準備をする事がプロフェッショナリズムだと。

一つの負けを引きずって、或いは一つの勝ちに浮かれて、準備不足になる事がプロとして恥ずべき事だと思うのです。

では、プロフェッショナルな国家とは。

自国の市民の力で何でも出来る様にすべき。

勿論、足らない部分は他国の力を借りる事を否定はしない。

でも、その前に自分達で出来る事は自分達ですべきだと思うのです。

現在、日本は憲法により武力を保有する事が禁じられている。

それなのに自衛隊なんて中途半端なもんを作ってしまった。

自衛隊が武力なのか軍隊なのか、様々な意見があると思う。

そんな中で私個人の意見は、武力ではあるけど軍隊ではない、と。

要するに自衛隊違憲だとの認識をしています。

だから本来は先に改憲をして武力の保有、軍隊の保有を認めた上で国軍を持つべきだと考えます。

或いは改憲をしないのであれば、自衛隊を作るべきではなかった、と。

ただ、現状すでに自衛隊は存在してしまっている。

そのすでに存在してしまっているものを無くす事も大きな問題になると思うんだよね。

そして此処で述べている様に私は軍隊があってこそ自立した主権国家となり得ると考えています。

自分達の国は自分達で守る。

それが当たり前だと思うんだよね。

それなのに憲法を盾にして、安全保障を他国(米国)に依存している現状。

同盟までは否定しないが、日本はもっと安全保障に対して自分達ですべき事があると思うのです。

自分達で出来る準備は万全にした上で、必要に応じて他国と協力する事も考えるべきではないか。

そのすべき事をしないままに他国に依存をしている。

その事が日本の国民に甘えを生んでいるのではないか。

また日本は憲法で戦争を放棄してしまっている。

その事で戦争をするかしないかの葛藤する過程を排除してしまった。

勿論、殆どの人間は戦争なんてしたくはないだろう。

でも、民主主義社会の中では、例え戦争であろうとも、その選択を排除してしまう事がおかしいよね。

そして、したくなくてもしなければならなくなる状況はあると思うんだ。

だから、あくまでも戦争をする権利までは否定すべきでないだろう。

その上で国民の選択により戦争の回避を目指すべきだと思う。

葛藤し選択する。

その先にある不戦こそが、本当の平和なのではなかろうか。

選択を否定した平和は幻の様なもの。

そして、その幻に日本の社会は蝕まれている様にも思う。

国民の選択により戦争を回避するという努力をせず、戦争放棄という条文を盾にして頭ごなしに戦争を否定してしまう。

その事が日本の国民を無責任にして、社会を幼稚にしてしまっていると思うのです。

だから私は言いたい。

日本は国家として、もっとプロフェッショナルなものにしていくべきだと。

自分達で出来る準備は自分達でする。

そして葛藤し選択する機会を作る事が国民の責任感を育み、社会を成熟させていくのではなかろうか。

更には、逆もまた真なり。

戦争をしたくなければ戦争が出来る様にしておく方が効果的。

戦争を否定する事で戦争に巻き込まれる危険性を高めてしまう。

そういった面もあると思うんだよね。

日本が今後も平和で、尚且つより良い社会にしていく為には、戦争や軍隊を絶対悪にして思考停止するのは止めて、主権国家としての自立を目指すべきではなかろうか。

その為に改憲、特に九条の改憲が最優先事項であると私は考えます。