愚か者が吹く笛の音に雲が笑う

愚か者が漏らす戯言

いい大人が若者の所為にしてどうする!ー未来への贖罪ー

ある番組で、誰かさんが現代の若者に対して「変化を求めるべき」との苦言を呈した事が話題になっている。

因みに、誰かさんとボカしたのは、誰が言ったのかが問題ではなく、一定の層に当て嵌める事が出来る様に思うから。

とにもかくにも、それって本当に若者の所為なの!?

そもそも若者が変化を求めていない訳ではないだろう。

一体、現代の若者の何を見て、その様な叱責をしたのか。

百歩譲って、その様な面があったとしてみる。

もし本当に変化を求めていないとするならば、その様な状況を作った、より上の世代の責任なんじゃないのかな。

それを棚に上げて、若者を叱責するなんて筋違いではないか。

正直、現代の若者はしっかりしていると思う。

少なくとも私が若者だった時代の若者よりは。

勿論、まだまだ未熟な面もあるだろう。

でも、そんなものは仕方がないよね。

成長過程なんだから。

それよりもすでにある程度は完成されていなければならないであろう、より上の世代がもっとちゃんとしなければならないだろう。

自分達がちゃんと出来ない事の負担を若者に押し付けてどうする。

確かに、より上の世代が若者だった頃にだらしなかった事が現代の若者へツケとして回してしまっている面はあるだろう。

そう考えると未来の子孫の為には現代の若者にも、もっとしっかりして貰う事が必要なのかもしれない。

でも、上の立場にいる者が下の立場にいる者に責任を押し付ける様な事は駄目だと思うんだ。

いつの世でも。

若者に先鞭となる事を要求するのであれば、先ず自分達が先鞭となるべきだろう。

そして自分達が先鞭となり得ていたら、わざわざ若者に先鞭となる事を要求するまでもない。

言われるまでもなく、自然と引き継がれていくと考える。

要するに、今回の様に若者を叱責する声があがるのは、より上の世代が先鞭となり得ていない事の表れでもあるだろう。

上の立場にいる者は言葉よりも行動で示すべきではないか。

下の立場にいる者に真似して貰えるよう、自らが率先して行動する。

それをせずに言葉で叱責するなんて弱い者イジメでしかない。

正直、より上の世代の一人として、現代の若者には申し訳なく思ったりもする。

自分達がだらしなかった事のツケを回してしまった事。

まあ、それ自体は当時の若者も未熟なんだから仕方がない。

でも、その事を棚に上げて、現代の若者を叱責するのは恥ずべき事だよね。

本当に申し訳ない。

ただ、それでもまだまだ未来は続く。

現代の若者達、そして子供達、更にはこれから生まれてくるであろう子孫達。

そんな未来の為に自分達に何が出来るのか。

知恵を絞って行動していく事が大切だと考える。

いい大人が若者の所為にしてる場合じゃないよね。

ただ、私も余り他人の事は言えない(汗)

未来の為に何かが出来ているのか。

正直、分からないし、毎日、不安に押し潰されそうにもなる。

今の私にはこうしてネットを利用して、何かを発信する事くらいしか出来ない。

それで何かの役に立つ事が出来たら、と。

そして、数撃ちゃ当たるってね(笑)

色々なところで色々と書いてはいるけど、果たして。

一つでも当たってくれれば、いいんだけどねぇ。

そして、それが私にとっては未来への贖罪の様なものと考えている。

人は誰でも若い頃は未熟であるが故に周囲に迷惑をかける事もあるだろう。

大人になってから、その贖罪をする事で"若気の至り"も許容される。

その様な見方も出来ると思うんだよね。

そして、その贖罪を先祖から子孫へと受け継いでいく。

そうやって人類は歴史を積み重ねていくのかもしれない。

私に後、どれ程の時間が残されているのか。

そして、その時間でどれだけの贖罪が出来るのか。

正直、自信も何も無いけど、やれる事をやっていくしかない。

自信がないから、と。

そんな事をしても無駄だ、と。

何もしないでいたら、どうにもならない。

だから私はこうして書き続ける。

それで贖罪が出来なくとも、それは私の力不足。

今はそうならないように頑張るしかない。